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がん性疼痛とオピオイド

がん患者は病気の比較的早い時期からがんの痛みを感じることがあります。

それにより夜眠れない、生活が制限される、気持ちが沈むなどなど、QOL(Quality of Life;生活の質)が低下してしまいます。

そのため、その痛みを除去するためにモルヒネに代表される医療用麻薬(オピオイド)を積極的に使用する必要があるわけです。

オピオイドって言うのは
(1)副作用対策により、副作用を最小限に抑えて使用できる
(2)痛みの緩和を目的とする量では呼吸抑制は起こらない
(3)痛みがある場合には麻薬中毒は起こらない
(4)死期を早める作用はない
ことがわかっていて、安全な鎮痛薬なわけですね。

しかし、『麻薬』と聞くとどうにも怖いイメージがありますよね。

それにどうしても終末期に使用するイメージがありますしね。(ない?)
でも実際のところ、病気の進行と痛みの強さは関係がないんですよね。
まぁ怖くないことはないんですけど、あまり過剰に反応することはないんじゃないかと、こう思うんですよね。

ここら辺で書くことに詰まってきたので今日は終わり。
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近世

 J.D.Bernalは封建制経済社会が崩壊して資本主義社会が勃興し発達したのと同じ時期(1440~1690)はまた、近代科学の誕生と成長の過程の時期であるとし、次のように時代区分をしています。
 1.ルネサンスの段階(1440~1540)
2.宗教戦争の段階(1540~1650
3.王政復古の段階(1650~1690)

 この時代区分の呼称は、むしろ
 1.ルネサンス期(1440~1540)
 2.ブルジョア革命期(1540~1650)
 3.近代科学確立期(1650~1690)
 とした方が理解しやすいかと思います。

ということで、次回からそれぞれの時期についての医学および薬学について書いていきたいと思います。

中世ヨーロッパの変革と大学~大学の誕生~

 イタリアのボローニャをはじめとして、最初の大学が12世紀頃からヨーロッパ各地に設立されました。ボローニャでは商人や職人の子弟たちが学問文化の研究を望んで大学をつくり、教授を招聘しました。学生が大学をつくって教授を雇い、自ら管理しました。はじめは法律学校で、その世紀の終わり頃、医学校が加えられました。続いて、フランス南部のモンペリエ、イギリスのオックスフォード、ケンブリッジ、フランスのパリ、イタリアのパドア、ドイツのプラハ、ウィーン、ハイデルベルヒに大学が設けられました。パリでは学生たちが組合を作って「ユニバーシティ」と称し、学生の宿舎を「カレジ」と呼びました。これが今日の大学の呼称となっています。大学は神学、法律学、文学、医学の4つの学部からなるものが主でした。教会の支配力の強い大学と教会の勢力の及ばない大学がありました。11世紀頃まで聖書の教えが唯一の真理であるとされ、神と教会のための学問(スコラ哲学)ができあがって支配していましたが、ギリシャの学問文化が知られてくると、それらはスコラ哲学と相反することがわかってきました。教会は自然についての研究、農民、職人の技術の進歩にはギリシャの学問文化を斥けることはできず、絶対の真理はスコラ哲学であるが自然の研究は神の学問を手助けする手段であるという聖トマス・アクィナスの巧妙な調停で、ギリシャ学問文化を制限付きで受け入れることになりました。大学はこの修正スコラ哲学の学風に支配され、ギリシャの学問文化の解釈と、それについての討論が行われました。
 
 ボローニャ大学の最初の医学部教授はタッデオ・アルデロッティというフローレンス人でした。アリストテレス、ヒポクラテス、ガレノスなどのアラビア文献からの翻訳を朗読し注解を講義しました。自ら体験した多数の臨床例をまとめて「参考集(コンシリア)」という書物を著しました。その中にアルコールの利用と製法について述べていますが、これはアラビアの錬金家の著書から引用したものです。タッデオの門下から多くの医学者が輩出しました。


次回からはいよいよ近世です。

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